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あなたが決めることで場がつくられる
「決断」には重い印象があります。これは決断が「正しい・間違っている」という軸で考えられているからです。場づくりでは「決める・決めない」の軸で考えます。場づくりは「決断」の連続であり、その繰り返しがエネルギーを生み出します。
決めることへの誤解
「場づくり」は、様々な決断の連続です。また、決めることは、場をつくるために不可欠です。
あなたは、決めるのは得意ですか? それとも苦手ですか?
よく「正しい決断/間違った決断」という言い方をしますよね。「決断する」ということを、「正しい/間違い」という軸で考えると、「決断する」ことの本来の意味が、分かりにくくなるのです。
え…? 決断は、正しいかどうかが重要なんじゃないの…?
確かにそうなのですが、「正しい/間違い」という以前に、「決める/決めない」という段階があるのです。
曖昧な提案が生み出す不安
会議でなにかの提案をする場合を例に、考えてみましょう。
「決める」のは会議でやるわけですが、じつは、提案(原案)を作るときにも「決める」必要があります。それは「この内容で提案をしよう」という決断です。
当たり前のことのようですが、この「決断」という段階を経ずに、なんだか曖昧なまま出てくる“提案”が、よくあります。
提案は、次の2つのパートで構成されている必要があります。
・こういうことを実現したいという「目的」
・その目的を達成するための「方法」
実際には、「方法」が細分化され多くの項目が並ぶこともありますが、「何のために(目的)、何をしたいのか(方法)」というのが、提案の基本となる筋道であり、体裁です。
この基本的な体裁が整った“ちゃんとした提案”のようでも、「この人は本当にこれでいいと思っているんだろうか?」と思えるような提案に出会うことがあります。
良さそうな提案なんだけど、肝心なところが曖昧で、そのまま実行に移してしまうといろいろ不都合が出そう──。というのが、こうした提案のよくあるパターンです。
提案する人が「やりたい」と考えているか
誤解しないでほしいのですが、細部が曖昧だからダメだとか、もっと確実な案を出すべきとか、そういうことではないのです。提案者が「これをやりたい!」と思っているかどうかが問題です。
ここが曖昧だと、まるで他人がつくった良さそうな案を弁護するような、本人不在の語り口になりがちです。こういうのを聞いていると、なんとなく不安になったり、疲れを感じたり、聞き手の側にも感じるものがあるものです。
提案者の、まるで解説者のような「本人不在の語り口」が伝染し、出てくる意見「こういうパターンもあるよね」みたいなものばかり。話しても話しても、なかなか決まりません。
僕はそれに気付いたときには、「これ、本当に自分でやりたいと思ってまとめたの?」と、提案者にはっきり尋ねるようにしています。(混乱の元に立ち返れると、議論が前に進みます。)
仮に、実現に向けてボトルネックがある案でも、「この案は、ここの、この部分だけ突破できれば、実現出来るんです。だから、この部分の解決策を相談したいです。いい案ないですか?」
こんな具合に、事前に課題がフォーカスされていて、「この部分だけ、みんなも考えて!」となっていれば、会議の場で解決策がみつかるかもしれません。
混乱が生まれるのは決めていないから
このような混乱は、提案者が、原案を作成する際に、「この案で提案しよう!」と決断していないために起こります。「提案」ではなく「提案資料」を作ってしまうのです。
若い人たちや、聡明で器用な人たちのなかにも、こうした「なんかいい提案」をつくってしまう人がいます。
聡明さや器用さが仇になり、体裁は美しいのですが、案のなかに、「これをやりたい!」という核となる「思い」がありません。
テンプレートのような、借りものの整合性に支配されています。洗練されていない荒削りな案でも、そこに「思い」が込められていると、それを受け取った人たちは、反応せずにいられません。
「思い」を受け取ってしまうと、人の心は動かざるを得ないのです。でも、そこに「思い」が込められていないと、まるで解説者か評論家の集まりのようになります。
解説者や評論家は、決断する立場にいない人々です。そのような人が大勢集まっても、いくら話し合っても、なにも決められませんし、「場づくり」など出来ません。
決めれば「場」は展開する
このように、「決める」というのは、とても大切な要素です。
会議を例にしましたが、どのような場でも「決断」は必要です。「決める」というプロセスをきちんと通ることで、「場」には「次の展開」がもたらされます。
それが正しいのか、間違っているのかは、また別問題。正しいとか間違っているとかいうのは、短期的で限定的な視野でだけ、導き出される真実です。数年経てば区別がつかなくなります。
「決める」ということは、とてもポジティブなことです。「決めない」ということは、停滞を意味します。悪いことだとは言いませんが、エネルギーは生まれません。決められない人たちの場には、エネルギーがないのです。
日常から取り組める「決める」トレーニング
決めるのが苦手だなぁ…という人は、どうでもいいようなことも、普段からきちんと「決める」ことにチャレンジしてみませんか?
「ラーメンにする? カレーにする?」こんなときこそ、決断が必要です。
どっちでもいいなぁ。どっちでもいいよ。そんなことではダメです。どっちでもよくても、「決める」ことが大切!それに、ランチのお店が決められないようでは、肝心な時は…?
「決断する」ということは、それが正しかろうと間違っていようと、エネルギーがいることなのです。どうでもいい二択からの選択であっても、同じです。「決める」ということは、エネルギーを消費します。
ふだん「決めない」でいる人は、自分ではエネルギーを使わずに、他の人に頼っているのです。荷物を持ってもらうことと同じですね。
「決める」ことでエネルギーを生み出そう
そう言っても、決めたら、その先がどうなるのか心配…。そういう人もいるでしょう。僕もその気持ち、わかります(笑)。でも、客観的に言うと、心配していても何も始まらないんです。
そんなときは、決めたことで引き起こされる事態に、「自分は対処出来るだろうか?」と自問してみてください。
どうでしょう…?ぜったいに無理そう…ですか?それとも、もしかすると、「わからないけど、なんとか対処は出来そうだな」と思えませんか?
未来のことはだれにも分からないので、「確実に大丈夫です。わたしなら、120%対処出来ますね」みたいなことにはなりません。気構えは素晴らしいですが、そんなの嘘です。
「わからないけど、なんとか対処出来ると思う! たぶんね!」
こんなのが、本当のところではないでしょうか。こう思えたら、あなたは「決断」が出来るということです。
「場づくり」は決断の連続です。
「決める」ことは、「場」にエネルギーを生み出します。
そして、あなたの未来、必要な変化を引き寄せてくれます。
(文・長田 英史)