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自治による「場づくり」の誇りと喜び

自治が分からないと場づくりは分からない

和光大学で先生方とつくっている地域連携の研究の一環で、「学生の自治」について研究しています。そのとき「自治なんて、最近は死語に近い」という声もあって、考えさせられました。

あまり聞かれなくなった「自治」という言葉ですが、自治は場づくりの最重要キーワードのひとつです。自治の経験は、主体的に自分の人生を生きる力を育みます。

そこに「自治」があるかどうか

僕が代表をしているNPO法人れんげ舎は、もともとは任意団体でした。任意団体というのは、自分たちで勝手に、「団体です」と名乗っている団体のこと。法人格などはありません。設立から数年後、NPOの法人格が出来ましたので取得しましたが、「自治組織である」という点で一環しています。

そこに自治があるのかどうか。僕はそのことを、何より重要視しています。

PTAや町内会・自治会に自治はある?

多くの人に身近な自治組織といえば、PTAや町内会・自治会などが挙げられます。自治組織では「話し合いによる意思決定」「民主的な運営」が必要になりますが、役員をくじ引きで決めるとか、担い手がいなくて消滅寸前とか、話し合い以前の段階で破綻している例も増えてきました。

よく新聞でも報じられているように、PTAや町内会・自治会への加入を強制したり(いずれも本来は入退会自由な民主的組織)、役割を話し合いとはほど遠い方法で強制したり、「役員やらないならトイレ掃除強制」など、意味不明な展開になっています。自治ということが、その意味合いそのものが、理解されにくくなっているのです。

自治の経験が生活から欠落してしまっている人が増え続けているので、こうした流れは当然のことだと言えます。そして、自治が遠ざかるなかで同じように遠ざけられているものがあります。それは「役割を担うことの喜び」です。

役割を担うことには喜びがある

れんげ舎がつくっている子どものあそび場は、子どもたちの自治によって運営されています。「指導員」と呼ばれる大人が寄り添っていますが、子どもたちをあそばせるのではなく、必要なときだけ、子どもたちの自治をサポートしています。

きょうなにをしてあそぶのか。どうやってあそぶのか。友達でもなんでもない、年齢も性別もバラバラの子たちが、話し合って、自分たちの力であそんでいます。そこには、書くことでは伝えきれない豊かさがあります。

どうしてそんなことが可能なのでしょうか?

それは、「役割を担う喜び」を、子どもたちが知っているからです。子どもたちは、役割を担うのが大好きです。しかし、自治を知らない、役割を担うことを貧乏くじだと考える親たちが増えたために、子どもたちは積極的に役割を担うことが難しくなってきています(これは由々しき問題です)。

子どもたちはあそびや様々な活動のなかで、自然に役割を担おうとします。そのなかで挑戦し、学び、喜びを知ります。楽しさ、喜び、やりたい! という気持ちが、彼らを支えているのです。

自治による場づくり

「場づくり」をするなら、「自治による場づくり」をお勧めします。一人でやるのではなく、チームでやってみませんか?

れんげ舎は「NPO法人」ですが、法人格はわれわれのアイデンティティとは何の関係もありません。われわれの最終的なアイデンティティは法人格ではなく、自治によって生み出される「場」に宿っています。

PTAも町内会も、学生のサークル活動も、本来は自治活動です。「役割を担うことの喜び」や、さらに一歩進んで、そこに「誇り」を持つことにもつながっていきます。

責任を取らされるのではなく、自ら負うという人生への参画。自治の経験は、主体的に自分の人生を生きる力を育みます。

(文・長田 英史)