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何に根ざして「場」をつくるのか

「何に根ざして場をつくりますか?」

これは、場をつくって活動している人にも、これから場をつくる人にも、どちらにとっても大切な問いです。あなたなら、どう答えますか?

足下を揺さぶられるきつさ

僕が初めてこの問いに直面したのは、仲間と共にれんげ舎をつくった1990年の中頃でした。

当時、子どものあそびを通した仲間づくりの活動が週末にあって、それがれんげ舎の活動の前身です。1997年には、平日の「子どもの居場所」をつくりました。

週3日、朝10時から夜8時まで、子どもは好きなときに来られます。

子どもに対するとらえ方も、こういった活動に対する社会的評価も、いまとは大きく違っていました。
学校に行っていないとか、共通の要素がある子どもたちではなく、いわば「ふつうの子」を対象とした居場所づくりの活動は、「やる意味あるの?」と、かなり微妙な扱いを受けていました。

もちろん、やる意味があると強く思ったから、始めたのです。

でも、僕にはなにもありませんでした。大学を出たばかりでしたし、お金もキャリアも社会的信用もなし。トレンドからも外れている。そういう状態で、“大人の人”から「意味あるのか?」と問われるのは、ぐらぐらと自分の足下を揺さぶられるようで、正直きつい体験でした。

ぐらぐらと足下が揺すられていたら、活動できませんよね?

だからこそ、「何に根ざすのか?」ということを重視する必要がありました。

トレンドに根ざしても意味がない

例えば、「社会的なトレンドに根ざす」という考え方があります。こういうの、増えていますね。
トレンドに根ざしているつもりがなくても、根ざすものが曖昧な活動は、実質的には、社会的なトレンドに根ざしている場合があります。

トレンドに乗っていれば、注目を浴びやすいし、ウケもいいです。
しかし、トレンドが去れば、何も残りません。

例えば、「地域に根ざす(地域貢献)」という考え方があります。近頃は「地域」もちょっとしたトレンドワード。主旨の曖昧な地域貢献の活動がたくさんあります。

でも、「地域に根ざす」って、つまり、どういうことなのでしょう?

行政と協働しているとか、町内会や商店会、地域の有力者とつながって何か活動しているとか、そういういわば地域のメインストリームにいる人々とのつながりは、確かに「地域への根ざし方」の一形態です。
ただし、実際の「地域」は多様かつ多層的ですから、それはほんの一形態に過ぎません。だから、そのことをもって「地域に根ざした場です」と言っていいのか、疑問です。これは、長年地域で活動をしてきた者としての実感です。

自分自身に根ざしてみては?

僕が大切にしているのは、「自分自身に根ざす」ということです。

れんげ舎は、行政や町内会とのつながりはありませんでした。
(行政も、自治会も、われわれのことを知らなかったのです。)

でもわれわれは、いまにつながる「場」をつくって活動していました。

あのとき、すぐに“大人の人たち”に認められようとして、活動を軌道修正してしまっていたら、いまこの活動はないでしょう。

コンクリートの上に薄く敷かれた土に根を張っても、仕方がない。「ど根性大根」とか、よく出てきますが、あんな風に、めりめりと下へ下へ、深くたくましく、根をはっていく。そのために必要なのが、「自分自身に根ざす」ことなのです。

自己充足的な意味ではなく、本当に社会に根ざそうとするなら、まずは自分自身に根ざしていなくてはならないのです。

社会の表層、つまりそのときのトレンドに乗っかって何かやっても、新しい風が来たら、簡単に吹きさらわれてしまいます。

あなたは、何に根ざして場をつくりますか?

「なぜ自分はそれをしたいのか? 本当に求めているものは何か?」

それを、まっすぐに自分に問いかけてみる。その問いかけが、自分がつくるべき場を鮮明にし、また最大限の魅力を発揮させるための鍵となるはずです。

「これだ!」とすぐに答えが出なくてもいいと思うんです。根っこをはっていくというのは、そういうアクションの繰り返し。揺さぶられる出来事があったなら、日和らず、まずは自分に立ち返ってみましょう。

簡単にたどり着ける借りものの「答え」より、良質な「問い」を!

ふだんは見えない、場や自分自身の深いところにある思いを、そっと探ってみてはいかがでしょうか。

(文・長田 英史)