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仲間から「行けたら行きます」と言われたら…
共に活動していた仲間が抜けてしまう。避けられないことですが、それがつらい経験になった人もいるでしょう。転居や病気など、様々な事情があるわけですが、なかには「だんだん疎遠になって来なくなってしまう」というパターンも。
「次の集まり、いつがいい?」と尋ねると、以前はカレンダーを前に「どうしようか?」といっしょに考えていた人がいつのまにか、「どうぞ決めてください。行けたら行きますので…」となってしまう。
こちらは「仲間」だと思っていたのに、「お客さん」みたいに、ちょっと距離を取られてしまう。こんな経験、ありませんか?
仲間がお客さんになってしまう「客体化」
主体的に活動していた仲間が、お客さんみたいになってしまう、こういうのを「客体化」といいます。これを避けることで、「仲間がどんどん減っていく」ような悲劇を避けられます。
・客体化(自分ごとから他人ごとになっていく)
・主体化(他人ごとから自分ごとになっていく)
それでは、どのようなプロセスで「客体化」が起こるのでしょうか?
その原因を解説する前に、客体化を防ぐために実例を示したいと思います。
「客体化」させないための工夫(実例)
例えば、合宿をしていて、軽微なスケジュール変更を行う場合。
(われわれは年に1〜2回、活動全体を俯瞰した全員出席の合宿を開いています。)
全体の流れやみんなのコンディションから、「昼食を30分早くして、休憩をその分だけ長くする」というちょっとした変更を、合宿担当が思いつきました。しかしメンバーは、3つのセクションでそれぞれ別の部屋に分かれて、施設のあちこちで、別々に会議や打ち合わせをしています。
こんなとき、あなたが担当者ならどうしますか?
各部屋に行ったり、内線電話を使ったり、slackやLINEなどのツールを使って連絡しますか?
この場合、担当は3つの部屋をまわって「相談」をします。
「相談なんだけど、進捗に差があるから、昼食を早めて、休憩を長くしたらどうかな?
休憩中に打ち合わせしたい人は打ち合わせできるし」
ちょっとした調整だし、たいしたことではないので、「ああ、いいんじゃない?」「いいよー」などと、担当が予想していたリアクションが、各部屋からきます。けっこう軽いですね(笑)。
配慮はこれだけ! さて、このポイントが分かりますか?
結果ではなくプロセスを意識する
「スケジュールを変更する」という結果だけを求めるなら、「相談」ではなく「連絡」でもいいのです。結果はおそらく同じですから。担当の権限で決めても、文句は出ません。
それでは、なぜこんな手間のかかることをするのでしょうか?
「連絡」を受けると、相手は少しだけ受け身になります。しかし、「相談」の場合、いっしょに考えて決断する必要があります。
前者は客体化、後者は主体化のプロセスです。
小さなことのようですが、この違いをつくり出すための配慮なのです。
根っこには、こんな願いがあります。
「合宿全体を、みんなで主体的につくりあげたい」
「活動全体を、一人ひとりの意志を大切につくりあげたい」
こういう願いを持って運営をしていても、ちょっとした場面で、「小さな客体化」が起こってしまうことがあります。こうした「小さな客体化」は、気分を害するとか揉めるとかいうような事件として表面化せず、小さく静かに、それでも確実に進行していきます。この積み重ねが、やがて大きな客体化、つまり仲間からお客さんへ、活動からの離脱へとつながってしまうのです。
ポイントは「小さな客体化」に注意すること
整理しますね。
これは「連絡」はダメで「相談」がいい、という話ではありません。
「自然に決定に関与できる流れをつくる」というのがポイントです。
人は、自分が関係していることなのに、自分の知らないところで話が進んでしまうと、「客体化」しがちです。当人が望んでいなくても、そうなのです。この状態をその人の意思の力で「主体的」に打破することはもちろん可能ですが、個々の力量次第なので、そのまま「客体化」が進行することがあるのです。
・必要な情報なのに、全員で共有できていない
・関係者なのに、だれかが不在のまま、なにかを決めてしまう
こういうことが重なると、「小さな客体化」が進行してしまいます。
日常のなかで「小さな客体化」が起こらないよう注意してください。「小さな客体化」のプロセスを、「小さな主体化」のプロセスへと変換するのです。
「客体化プロセス」を「主体化プロセス」へと変換する
全体に客体化してエネルギーが落ちてきた…そんな風に感じたら、マメに連絡をするといいですよ。「客体化」しそうな立ち位置の人にこそ、マメに連絡をするのです。
「本当はその人を交えて会議したいのに、すぐ休むんですよ…」
毎回の会議を準備している人は、例えばこういう不満を持つこともあるでしょう。よく分かるのですが、陰で文句を言ったり期待したりしていても現実は変化しません。そんなときこそ、手間をかけることで客体化を防げます。
(1)欠席連絡があった人に、会議の前に、電話を入れる
(2)議題を伝え、「ここまでは決めておくけどいい?」と確認する
(3)実際の会議では、「欠席の◯◯さんとは電話で話して、ここまでは決めておくよと、了解をもらっています」と全体化する
こんな手間をかけると、会議を休んだ人は、議題を把握していますし、「進めておいてください、お願いします」と自然に言えます。会議に出た人も、不在の人と会議を進めている人が電話で事前に話し、内容を了解していることを知らされ、欠席者を自然に認知しています。
こうすることで、本来なら客体化のプロセスになってしまうことを、主体化のプロセスへと変換することが出来ました。
この手間をかけないと、休んだ人が次の会議で中身に文句を言ったり、なぜあの人は欠席したのかと不信感を持ったりするかもしれません。客体化を食い止めるのは、マメな連絡、直接のやりとりが効果的です。
仲間が去るのは必ずしも悪いことではない
一人ひとりが主体的にかかわれる「場づくり」をしていても、人が去って行くことはあります。
やりたいことが異なる、気持ちが変わった、いろいろあります。去って行く人に、その理由を聞けないこともあるでしょう。そのことで、辛い経験をした人も多いでしょう。僕もその一人です。
でも、人が去ることは、運営に不備があったからとは限りません。
また、それが「悪いこと」だとも言えません。
所詮生身の人間の集まりです。だれかがだれかのことに100%責任を持つことなど出来ません。そうした考え方は非現実的ですし、むしろちょっと傲慢かもしれません。
その時の自分が、その時に出来る分だけ心を込めてやれることをやったら、それでOKです。一度そのことに向き合ったら、いつまでも囚われないこと。断ち切らないと、あなたも周囲も場も組織も、本来の力を発揮しません。
だから、いつまでも振り返ったり、反省したり、罪悪感を持たないこと。
想像したって相手のことは分からないし、相手は変えられません。それよりも、前を向いて歩き始めましょう。それこそが、その場を担う人の責任だと、僕は考えています。
(文・長田 英史)