メルマガ購読 お問い合わせ

自分の「感じたこと」を大切にする場づくり

違和感を大事にすると場は展開する

「場づくり」には「感じたこと」の理解が必要です。活動のなかで浮かび上がる自分の感情、感覚、違和感を無視せずに大切に拾い上げて取り扱うことで、「場」は変化していきます。

あなたの「感じたこと」は面白い

「いま、なにを感じていますか?」

この問いは、「場づくり」する人にとって、もっとも大切な問いです。

「感じたこと」は、いつもとってもユニーク!

  • 喜怒哀楽に分けられるようなはっきりした感情
  • もっと微妙な言葉にならない感情の数々
  • 五感に代表される身体感覚
  • 好き/嫌いという尺度

これらは、あなたの「感じたこと」です。

自分の「感じたこと」は自分では選べない

ところで、「感じたこと」の最大の特徴は、「感じたことは自分で選べない」という点です。好きとか嫌いという気持ち(=感じたこと)を圧し殺し、周囲に悟られないようにふるまえても、そう感じていることには、違いはありません。

自分のなかの壺をあけたら、そこにもう入っているもの。それがあなたの「感じたこと」です。自分の感じたことなのに、自分では選べない。まるで、自分のなかに、別の自分がいるみたいですねぇ。

違和感が教えてくれる「問い」

「場づくり」をしていると、様々なことを感じます。

計画通りに運んでも、喜びが感じられない。成功か失敗かと問われれば、成功ということになる。でも、なんだか、うれしくない。う~~~ん、このひっかかりはなんだろう!?
(こんな経験、ありませんか?)

こんなときに、「場づくり」をする人たちにとって、一番大切な問いが、冒頭に紹介した問いです。

「いま、なにを感じていますか?」

そう自問すると、その「場」に確かにあったけれど、だれも手にとって拾い上げなかったなにかが、みつかります。

こういう話をすると「なんだかそういうのってこわい~」と、言われることがあります。気持ちはわかりますが、別にぜんぜん怖くないんですよ(笑)。怖いのは、「感じたこと」や「拾い上げられなかったなにか」が、その時点では、不明だからです。

得体の知れないものを怖いと思うのは、当然ですよね。でも、その正体は、あなたが求めるあなた自身。正直な自分です。だから、怖くないんです。

活動の中でスルーされる違和感

長く活動している人や、勢いのある組織で活動している人は、そこにある「違和感」を、ついついスルーしがちです。(みんながうらやむ仲良しカップルとかも、そうかな。)

・会員は増えたけど、なにか違う…。
・感動して泣いたけど、なにか違う…。
・取材されて有名になったけど、なにか違う…。

こうして文字にすると、まるでだだをこねているみたいですね。
でも、こういうのは、別に文句を言っているのとはちがうんです。

その違和感を抱えている本人は、その違和感を、自分の意志で選び取ったわけではありません。違和感=感じたことは、自分では選べませんから。

違和感を大切に取り扱う

ここまで書いて、子どもたちの現場が浮かびました。れんげ舎がつくっている、子どもの活動の光景です。出てくるイメージを、そのまま書いてみます。

「きょうは楽しかったな…」と思って、スタッフと事務所に戻る。
だれかがお茶を入れて、それを飲みながら感想をまとめる。

 

大勢の子どもたちと一日を楽しく過ごした充実感、身体的疲労、
たくさんの笑顔の余韻──小さな高揚感が、そこにはあります。

 

そんなときに、知らないうちに指に刺さった小さな棘みたいに、
ふとしたときに「ちくっ」と痛むんです。

 

楽しかった。でも、なんか違う、違う、違う…。

そんなとき、ふと、忘れていた光景が蘇ります。

 

あのとき、一瞬あの子とふたりだけになったとき、
あの子はなにか言いかけたんじゃなかったっけ?

(少なくとも、あのとき僕は、「そう感じていた」。)

 

あれ? でも、どうなったんだっけ?
あのあと、どうなったんだっけ?

(記憶をたどる。そのときに自分が「感じていたこと」を思い出す。)

そうだ、僕は、遠くから別の子に呼ばれたんだ。
あの子とふたりだけになった、あのときの緊張感から、
体よく逃れるために、呼ばれた声に応えてしまったんだ。

そして、うやむやになったんだ…。

これは、じつは実際の具体例ではありません。でも、20年を越える活動のなかで、こういうようなことを、僕は繰り返し体験してきました。

だから、様々な実際の例が、混ざり会ったような感じです。なんだか、ちょっと切ない例ですね。でも、こうやって「違和感」が拾い上げられると、僕はそれを、「使う」ことができるんです。

これは懺悔とか、子ども思いとか、真剣とか、そういう話ではないんです。僕の知らないところで、僕自身が僕に向かって、「それは違うよ。それは君が求めていたことじゃないよ」と、
メッセージを送っている、ということなんです。「ちくっ」という、小さな痛みと共に。

僕は、こういうときに、「違和感」を無視せずに、大切に拾い上げられる自分でいたいと思っています。そういう「場づくり」を、みなさんに伝えたいと思っています。

違和感を見つけた後はどうなるのか

「拾い上げられた違和感を、一体どうするの?」
「その子が言いたかったことは、なんだったの?」

そう思われるかもしれませんね。その通りです。
その「違和感」をみつけて、どうすればいいのでしょう。

ひとつ言えることは、「違和感」を拾い上げた時点で、あなたは、自分がやるべき大切な仕事を、ひとつしました。その瞬間に、目の前の「場」は変わります。

先ほどの例なら、僕がその違和感を語った時点で、スタッフのミーティングの「場」は変容します。そして、未来にある子どもたちとの「場」も変容します。

こうして、「場」と「場」は、つながっています。だから、目の前の「場」に集中すれば、それでいいんです。行き詰まっても、困っても、自分に尋ねれば大丈夫なんです。

「いま、なにを感じていますか?」

この問いは、いつだって、きっとあなたを笑顔にしてくれます。きっと、あなたの「場」を照らしてくれます。僕は、そう信じています。

(文・長田 英史)