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変わってますねは褒め言葉!自分のマイノリティ性を生きる

変わってますね!は褒め言葉

あなたは変わっていると言われますか?

「変わっている」って、どういう意味でしょうか?

「あなたはスタンダードから外れていますね」
「あなたは少数派(マイノリティ)ですね」

もしそう言われたら、どんな気持ちがしますか?

スタンダードとは何か? そんなもの本当にあるのか?

まず、「スタンダード」とは何でしょうか?

本当は、スタンダードなど世の中に存在しません。
みんな「ある」という設定で、生きているだけです。

勝手に「自分なりのスタンダード」を立ち上げて、それを社会のスタンダードだと勘違いしているのです。100人中100人が認める「スタンダード」なんて、ありませんよね。だれかの常識が、他のだれかにとっては非常識だったという話は、ぜんぜん珍しくありませんから。

だれもがマイノリティ

次に、「少数派(マイノリティ)」とは何でしょうか?

ある領域・属性における多数派(マジョリティ)に対し、数が少ないのが「少数派(マイノリティ)」ですよね。

ただし、「あの人はマイノリティです」という言い方は誤りです。ある観点においてはマイノリティに分類される人も、別の観点ではマジョリティに分類されます。どのような観点で分類するのか、どんなタグや検索ワードで括るのかで、結果は異なります。

つまり、だれにでも「マイノリティ性」があるはずなのです。

自分のアイデンティティを生きよう

あなたは、何のマイノリティでしょうか?

「みんなと違う領域」をだれもが抱えているのなら、それはその人の「かけがえのない部分」かもしれません。かけがえがないというのは、失ってしまうと、もう代わりのきかないという意味です。

例えば、それはアイデンティティ。
本当の意味でのその人らしさ。

問題は、それを生きるのか。それとも殺すのか。
それについて決めるのは、自分自身です。

いつも不完全さを抱えていた子ども時代

子ども時代の僕は、クラスで輪が出来るようなときは、大抵いつも「境界線エリア」にいました。輪の中心でもなく、ずっと外側でもない、緩衝地帯です。
心からみんなと楽しめないから、中心にはいない。完全に離脱も出来ないから、周辺より内側にはいる。

だから、いつも不完全さを抱えていました。

「ちょっと消極的なところがある」

そんな風に、先生や周囲の大人から言われました。だから、輪の中心に向かっていくことが強くなり成長することだ、と考えていました。抜けない棘のように、いつも劣等感と一緒でした。

他人を演じることをやめた理由

僕が僕自身の痛みに気づいたのは、20歳を超えた頃。
師である鳥山敏子さんと出会った頃です。

僕はそこで、“いい人”を演じるのではなく、ありのままの自分を出していこうと決めます。

でも、そうすると新しい様々な試練が訪れました。内側が変わっただけでは、外側は変わらないからです。だから、自分だけでなく自分のかかわる場を変える、必要ならつくり出す──、そんな生き方を始めました。

それが「場づくり」です。生きるために必要でした。

僕が伝える「場づくり」が、手法に留まらないのは、そうした経験とプロセスが背景にあるからです。

場づくりは生き方づくり

場をつくるというのは、生き方をつくること。
自分らしい場は、自分らしい生き方をつくり支えます。

もしだれかから「変わっていますね」と言われたら…。

自分自身を発揮して生きているのが、周囲にまで伝わっているんだな!
そんな風に、受け止めてみるのはどうでしょう?

「変わっていますね」は、褒め言葉であり、まっすぐに自分自身を生きていることへのエールです。

ただ、「変わっている集団の一員」を気取るのは、それとは全然違うことです。似て非なるもの。それはただの陶酔で、誰かを真似ているだけです。

自分が自分に対して正直になる。そして、正直な気持ちを見つけたら、たとえそれが多少の波紋を引き起こすことだと分かっても、それを大切に拾い上げてそれを表現する。そんなことを繰り返していると、いつか「変わっている」と言われた部分が自分を救い、まただれかを勇気づけていることに気付くでしょう。

(文・長田 英史)