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日常が鍵! 場でのあなたは◯◯で出来ている

日常が鍵_場でのあなたは◯◯で出来ている

あなたをつくっているのは日常生活の過ごし方

「場」での「自分(考え方や言動)」をつくっているのは、何だと思いますか?

思い、意志、計画、準備…?

もちろん、表面的なレベルではそうとも言えます。
でも、本質的なレベルでは…?

ある場での自分は「その場にいないときの自分」がつくっている。

そこがあなたにとって“特別な場”だったとしても、その場にいる自分は特別な自分ではなく、日常生活における自分の反映です。

その場でふんばる力はどこから来ている?

僕自身の体験談をお話しましょう。

子どもたちが話し合いをしていて、それがうまくいっていません。

楽しい計画があり、ずっと準備してきましたが、暗礁に乗り上げ意気消沈。あきらめムードが漂います。このままいけば、彼らの取り組みは中止になるか、当初の輝きを失った別物へと変質してしまうでしょう。

僕は大人としてその場に立ち会っていて、くじけそうな子どもたちを支えようとしています。彼らの代わりにやるのではなく、彼ら自身の力でやれるようにサポートするのが、その場における僕の役割だからです。

こういうときに必要なのは「励ましのエネルギー」です。

それも、正真正銘の励ましです。
口先だけの励ましは無力で、かえって彼らの力を削いでしまいます。

それで、そういう本当の励ましのエネルギーは、一体どこから出てくるのか、という話です。

日常生活における諸経験があなたをつくっている

エネルギーの源泉は、僕自身の日常生活における諸経験です。

子どもたちとの「場」での自分ではなく、「それ以外の日常の場」をどう過ごしているのか。そのことが、如実に表れます。

例えば、自分自身が彼らの立場に立ったときに(つまり大人としての自分が、あきらめてしまいそうな場面に直面したときに)、実際にどのようにその問題に立ち向かったのか?

目の前の「もう無理」というリアリティに飲み込まれ、諦めたり体よく理屈をつけて妥協したりしたのなら…、僕には彼らを励ますことが出来ません。励ましのエネルギーの源泉が、僕の内側にないからです。
逆に、「もう無理」というリアリティの中でも粘り、自分の内側から整え、客観性の光で場を照らし、そこを切り抜けて光の中に戻れた経験があるなら、少なくとも僕の内側には、経験を通して蓄えられた本物の励ましのエネルギーがあるはずなのです。

テクニックなど通用しない

この実例から分かることは、「その場における自分は、その場にいないときのすべての自分がつくっている」ということです。

テクニックなど通用しません。テクニックが通用する領域など、場の表層部分だけ。場をつくっているのは、まるごとのあなた自身です。

表面だけ=嘘の励ましはたちまち子どもたちに見抜かれ、場をさらに深く壊し傷つけ、大きな力で彼らの足を引っ張るでしょう。自信がないなら、余計なことはしない方がいいのです。「子どもを励ます」なんていうと、かわいらしい世界、気楽な世界だと感じるかもしれませんが、僕自身もエネルギーレベルでは、孤独のなかで本当にその局面を乗り越えているのです。

【どうせ無理、嫌になった、どうでもいい、暗い気持ち】

【もう一度やろう、やれるかも、少しだけ明るい気持ち】

こういうシフトが出来るかどうか、それはその人の日常の過ごし方次第ですよね。

まとめ:日常のあなたこそ一番大切にしよう

この話のポイントは、「励まし方」ではありません。お伝えしたいのは、「日常の過ごし方の大切さ」です。

気合いを入れようが何をしようが、特定の場だけ別の自分になれるわけではありません。本質は同じで、それは瞬間瞬間に場に反映されています。

その場でのあなたは、その場以外の全て。その場でどうふるまえるのかは、その場以外、日常も含めた全てをどう生きるかで決まります。だからこそ、ひとつの場を本当に大切にするためには、日常すべてを大切に扱わなければならないのです。

苦しいことに聞こえるかもしれませんが、逆ですよ。自分の感じたことを尊重し、丁寧に扱うということです。嘘の自分を演じれば、傷つき弱小感を抱きます。それは他の場にいるときにもついて回るのです。

日常での自分をないがしろにせず、丁寧に扱う。

そうすることが、あなたが大切にしたいと思う場を、本当に大切にすることにつながります。

(文・長田 英史)