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自分の選択が場をつくる
場づくりする人は、「普通」の考えや「常識」の教えにぶつかり、引きずり降ろされそうになります。これは、場づくり自体が「普通」「常識」に支えられた既存の取り組みに対して、新しい場を提案するものだからです。このときに必要なのは、意外かもしれませんが、自分自身をよく知ることです。
「クリスマスは仕事です」と言うとき
あなたは、「クリスマス」に対してどんな態度を取っていますか?
意識して楽しんでいますか? それとも無視? あるいは、楽しみたいけど楽しめない状況でしょうか?
僕は、昨年のクリスマスは仕事をしていました。クリスマスイブはれんげ舎のメンバーと会議をしていて、翌日はある団体さんの会議進行のお手伝い。エキサイティングに過ごしました。
「クリスマスは仕事です」
と言うと、こんなリアクションが想定されます。
「クリスマスに仕事なんて、大変ですね!」
美容室なんかでいかにも言われそうな一言です。
クリスマスは友人や家族と食卓を囲む?
みんなで集まってパーティ?
クリスマスへの態度の取り方、もっと他にもたくさんあるはずです。
「自分」が含まれていない思考
「普通はこうだよね」
「こうするのが常識でしょ」
こういう「オートマチックな思考」は、場づくりには不向きです。オートマチックな思考とは、なぜそれが必要なのか、その理由が曖昧なのに、勝手にそう決めつけてしまう思考態度です。「オートマチックな思考」という言葉には、元ネタがあります。
歌人の穂村弘さんが『短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために』のなかで、「オートマチックな表現」という言い方で、自覚的な選択なく使われる言葉を問題視しています。短歌を詠む際の話なのですが、場づくりでも同じです。
「いつもお世話に…」
と“上の句”が出てくると、そのまま「…なっております」と続けてしまう。慣用表現なので当然なのですが、この“当然”がくせものです。
そこに「自分」が入っていないのです。
場づくりでぶつかる「常識の壁」
場づくりは、いつも自分の内側から始まります。望んでも望まなくても、場は場をつくる人の内面を反映します。だから、自分不在の場づくりでは、すぐに道を見失ってしまいます。
また、場をつくるということは、何らかの新規性をはらみ、社会に大なり小なりの変化をもたらします。既存の枠組みに完全には収まりきらない。そのため、そのまま進めると「常識の壁」とも言うべきものに、コツンと(時にはガツンと!)突き当たることもあります。
「そんなの普通はダメでしょ?」
常識の壁からそう言われたら、なんと答えますか?
「そうですよね! やっぱりやめます!」
と毎回オートマチックに反応していたら、場づくりはすぐに行き詰まってしまいます。
そんなときはどうすればいいのでしょうか?
「常識」を高解像度で分析する
大切なのは、常識よりむしろ、自分自身をよく知ることです。
自分の心のなかで、何が起こっているのか?
自分の心のなかで、どんな言葉をつぶやいているのか?
「どうしよう、周囲から変に思われたくないな…」
「常識なんてクソくらえ! 知ったことか!」
「やっぱり自分なんてダメなんだ…」
自分がどんな「悪い想像」を展開しているのかに、いちはやく気付きます。より客観的な態度になれれば、まずはOKです。
「常識」と一括りにして(低解像度で)とらえないのがコツです。個別具体のこととして、丁寧に(高解像度で)とらえ直します。
例えば、「夜は家を出られないんです」という人がいたとします。「そんなの常識でしょう?」という表情です。さて、どう対応すればいいでしょう?
・無批判にそのまま受け入れる
・反対したり批判したりする
という二者択一では、良い結果につながりません。
「夜はダメ? それって何時以降のこと?」
「18時は夜に入る? 何時までなら大丈夫?」
こんな風に、解像度を上げて質問しましょう。ダメと言われてすぐにあきらめては、場などつくれません。逆にしつこくごり押しするばかりでもダメなのです。
常識の壁は社会にではなく自分の中にある
常識の壁は、社会に存在しているように見えますが、実際には自分の内側にあります。
「普通はこうだよね」
と、簡単に決めつけてしまう。
自覚的に選択したわけではないのに、決めている。
その決めつけ、必要でしょうか?
クリスマスだって、自分の好きに過ごせるはずなのです。みんなで集まりたければ、計画すればいいと思います。そういうことが楽しめないなら、みんなと過ごす必要などありませんよね。
無理に合わせなくていいし、無理に「逆張り」しなくてもいい。
「クリスマスなのに、自分はみんなと楽しめない…」
そうかもしれませんが、そんなこと言っていても、仕方がないと思うのです。僕は大抵の場はいつもちょっと不快ですし、観光地に行っても何が面白いのかまったくわかりません。人はいつだってどこだって自分らしく過ごしていいし、その結果、他人からどう思われるかなんてどうでもいいのです。
場をつくるなら、自分で選択する必要があります。いつだって自由意志で、必要な選択をすることが出来ます。それは生活全般にも言えること。そのことを忘れずに、場づくりを楽しんでください。
(文・長田 英史)