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雰囲気の悪い場にどう対処する?「第3の選択肢」を考えてみよう

場の雰囲気が悪い原因は常に主催者

「なんかちょっと雰囲気が悪いな…」

イベントや会議や何らかの集まりに出向いてこう感じるとき、あなたならどうしますか? その原因は何でしょうか?
もしかすると、あなた自身が原因かもしれません。

イベントの雰囲気が悪いのは主催者の責任です

訪れたイベント会場の雰囲気が悪い原因は、主催者にあります。もちろん雨より晴れの日の方が気持ち良く、それだけ雰囲気も良いかもしれません。ただ、良い場というのは雨が降っていても雰囲気がいいですよね。

場(の雰囲気)は、場のつくり手=主催者のありようを反映します。その場の感じが悪い場合、主催者が感じが悪いのです。これが本質論で、天気などは副次的な要素です。残念ながら、あなたがお客(ゲスト)の立場では出来ることが限られています。

会議の雰囲気が悪い! 原因はあなたかも!?

自分が所属する組織の会議の雰囲気が悪い場合、普通は自分以外に原因があると考えます。また、それ自体が間違いではありません。ただ、自分自身が原因になっていることを考慮に入れる必要はあります。あなたも含めた全員が雰囲気の悪さの原因です。

「なんだか雰囲気が悪くて話しにくいな…」

と感じるとき、あなた自身もそういう表情をして座っています。雰囲気悪いな、話しにくいな、と感じている人の顔を見ると、どういう感じがするでしょうか? 同じように、雰囲気悪いな、話しにくいな、と感じることが多いはず。

あまりにも雰囲気が悪いと憮然としてただ黙ってしまうことがあります(それが普通のリアクションですよね)が、その時点で、図らずも「悪い雰囲気」の再生産に加担してしまっているのです。

そんな悪循環から逃れるための選択肢とは、何でしょうか?

雰囲気の悪い場に対する「よくある2つの選択肢」

雰囲気の悪い場に直面した場合、よくある対し方は次の2つ。

1.嫌な雰囲気なので、その場から立ち去る(これが健全な反応!)
2.嫌な雰囲気だけど、そこに自分を合わせる(嫌だけど帰れない場もありますよね)

立ち去れない人も多いでしょうから、そうすると自分を合わせてやりすごすことになります。そして、先程指摘したように、その「やりすごす態度」が意図せず「悪い雰囲気の再生産、維持・継続」になってしまいます。

そこで考えたいのが、「第3の選択肢」です。

第3の選択肢は「流されずその場に関与する」こと

第3の選択肢は、その場の悪い雰囲気に流されず、そこに関与することです。
レベルごとに様々なアプローチがあります。

まず一番簡単で基本的なのは「自分だけは機嫌よくすること」です。悪い雰囲気をスルーして、勝手に感じよく楽しくするのです。こうした動きは、その場において最初は違和感を伴います。なぜかというと、「場違い」な動きだからです。そして雰囲気の悪い場に対して「場違い」であるからこそ、場を立て直す力になり得るのです。
簡単なようですが、こうした場に出向くときはカウンターパンチをくらう前にコンディションを整えておく必要があります。

次に、これも基本なのですが、それは本当に思ったことを言うことです。例えば、こんな風に言ってみる。

「ちょっと〇〇だと感じて、やりにくいのですが…」

いや、そんなこといきなり言えないよ…という方は、例えばですが、下記のようなことを第一歩として言ってみます。

「なんかエアコンきつくないですか? そっちの席どうです?」
「すみません、疲れてきたので5分だけ休憩しませんか?」

オープンなエネルギーを場にもたらしてみてください。
あなた自身の感じが変わるというのは、あなたと接する他の人の感じが変わることで、それはそのまま場の雰囲気に反映されていきます。

他にも様々なレベルで、様々なアプローチが出来ますが、それには主催者として場をつくる経験が必要です。いつもお客の立場ばかりでは、それに慣れきってしまい、自分次第で場に関与出来るということを完全に忘れてしまいます。多くのポジティブな可能性が失われてしまうのです。

まとめ:雰囲気の悪い「原因」にだけはならない!

自分がいる場の雰囲気の悪さを嘆くうちに、いつの間にか自分までその原因になってしまう。

こんなことだけは避けたいですよね。

本当に嫌な場、合わない場からは、立ち去っていいのです。たまに、非論理的にそこに留まり続ける人がいますが、考えてみてください。あなたが自分を殺して、不機嫌な顔でいなくてはならないような場は、あなたにふさわしいでしょうか? 関与も出来ずただ場と共に流されるだけでは、雰囲気の悪さはずっと続きます。
また、陰口や悪口も、場の雰囲気を悪くします。遅効性の毒のように、場を害します。

関与することで、場に潜在していた豊かさが引き出されることもあります。それは、その場の可能性であると同時に、あなた自身の可能性でもあるのです。

(文・長田 英史)